カテゴリ:大震災( 2 )

東北の親戚と連絡がとれました。
皆無事だそうでひと安心です。
ご心配をおかけしました。

計画停電はまだ自宅ではありません。

また、東京では電力不足の影響で交通機関に乱れが出ています。
自分はスムーズに出社する事ができましたが、出社できない人もいますし、出社しても早上がりをしないと帰宅できない人もいます。
そして会社に泊まる方もおります。

自分は通常業務で泊まり番があり、宿舎が用意されているのですが、泊まり番の人数分しかベッドはありません。
急遽、会社の会議室のひとつが仮眠所に早替わりです。
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まじめに働く事は美徳かも分かりませんが、それで体を壊してはなんにもなりません。
こんな時こそ体調管理には気を付けたいものです。

また、スーパーやコンビニの、パンやおむすび、カップ麺はほぼ売切れの状態です。
日常生活に支障が出始めてます。
余震もおさまりつつありますが、皆様お気をつけ下さい。
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今回の地震で亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。
また、被害に遭われた方の一日も早い回復、地震に遭われた方の無事を願っています。

今回の雑記帳は忘備録として記したいと思います。
感情のまま、思ったままを記しますので、脈絡やまとまりが無くなると思われます。
またかなりの長文になりますので、ご覧になる方はそこの所はご容赦下さい。

それは2011年、3月11日(金)の午後14時45分頃に起こりました。
最初に揺れた時は、
「ああ、地震かぁ」
程度でした。

しかし、それが一向に収まらず、それどころか徐々に大きくなった行きました。
自分は仕事場に居て、同じフロアには数十人は居たでしょうか。
その時に思った事は
「ダメかもしれない」でした。
それだけ長く大きく揺れました。

なので、それが収まった時は本当にホッとしました。
そして約30分後、また強い揺れが。
これもかなり大きく長い揺れでした。
今までに経験した事の無い揺れ方でした。
例えて言えば、フラフープの様に建物が大きくゆっくりと回転している様な揺れでした。
近くに居た女子社員のひとりが自分を指差し
「あにさん笑ってる」
自分
「もう笑うしかねぇだろっ!」
そんな自分を指差す彼女も笑顔を浮かべてます。
極限状態になると人は笑ってしまう様です。

それが収まるとフロア内は騒然としていました。
皆すぐに避難できる様な体勢をとりました。
それでも仕事は皆続けましたが、小さな余震はずっと続きました。
その影響で船酔いの様な不快な気分に。

皆一斉にケイタイを使用しましたが誰ひとりとして繋がりませんでした。
一時間程するとケイタイが繋がる人か出て来ましたが、自分のケイタイは通話もメールも出来ません。
ダメ元で職場の固定電話で実家の両親に電話をしてみた所、運のいい事に一回で繋がり母が電話口に出ました。

状況を聞くと、食器棚の食器が飛び出してかなり割れた事。
家具が一つ転倒した事。
その他の家具の上の荷物が落下した事などでした。
不幸中の幸いは、両親共に無事な事でした。

両親の安否が確認できましたので、後は仕事の区切りをつけなければなりませんでした。
そして早く実家の両親の元に行かねばなりません。

自分の実家のすぐ近所に、偶然にも二人の女子社員AさんとMさんが住んでおり、彼女達と出発する事になりました。
その際、女子社員のTさんは家が遠く途方にくれていた所、Mさんのアパートに泊まる事になり、自分を含め四人で出発する事になりました。
もちろん徒歩での帰路です。
そして、自分は彼女達のボディーガード役という事に。

19:30頃に会社を出ましたが、最寄りのJRの駅にはシャッターが降りていて、電車が動いていない事が伺えました。
道には人があふれかえっています。
タクシー乗り場にも長蛇の列が。
道路も大渋滞です。
なるべく繁華街を避けて帰路に着く様にしました。
また、メインストリートは避けて、一本裏の道を選んで進みました。
この日の東京は結構冷え込んでいましたが、歩く事で体が温まり寒さは多少緩和された感はありました。

幸いな事は、我々が通った道は落下物が無く、日常と変わる事が無い道が続いていました。
ただそこには、多くの人が同じ方向に向かって歩いて行く非日常がありました。
何かテレビドラマのワンシーンを見ている様でした。
バスが走っていましたがどれも満員でした。
消防車が渋滞している道を、サイレンを鳴らしながら進んで行きます。
もうひとつ良かった事は、20代の三人の女子社員達が思いのほか元気だった事です。

会社を出て約一時間十五分、彼女達のアパートの近くまでたどり着きました。
お互いここまで無事に来れた事を喜び、笑顔で別れた後、自分は実家へと向かいました。
途中コンビニをのぞきましたが、パンやおにぎりなどはきれいに売り切れていました。

実家では母親が、がんばって壊れた食器を片付けた後でした。
倒れた家具も足の悪い父と一緒になって、両親で起こした後でした。
歩いて来てのどが乾いた自分は水を飲もうとした所、母親が
「コップはゆすぐのよ!」
見るとコップの底にはガラスの細かな破片が。
地震の被害の一端を見た気がしました。
その後片付けの手伝いをしましたが、実家は8階建ての5階でかなり揺れた事が伺えました。
とにかく両親共に無事だった事は幸いでした。

その日は実家に泊まり、翌日も仕事で出社しました。
出社すると、帰宅難民になって会社に泊まった方が結構いました。
仕事を終えたあには今日、自宅へ無事帰宅しました。
そして、今このブログを書いています。

帰宅した時、玄関をおそるおそる明けると、使っていない置き時計が落下して見事に壊れていました。
その他、ギターケースが倒れていたり、細かな物が落下していましたが、自宅は特に問題はありませんでした。
大切なギター達も破損は無く、不幸中の幸いでした。
ただ、このブログを書いている最中も、小さな余震が何度かありました。

そして、東北に住んでいる親戚に今現在連絡が全く取れません。
無事で居る事を願い、この忘備録は一旦ここまでとさせて頂きます。
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